めことこと

独り言をもにもに

石田衣良『娼年』を薦めたい

 石田衣良娼年』を読んだ。

 これはとんでもない作品だ。しがない読書家の視点から見ても、気が向くと同人作品投稿サイトで小説や漫画を読み漁るオタク的視点から見ても。ここで私が書くのは書評ではないため、私自身の話を多分に交えながら核心的なネタバレは避けこの魅力を伝えたいと思う。

 

 私はフィクション作品の中で好きな登場人物を見つけた際、気が向くと稀に某同人作品投稿サイトでその名前やその名前を含むカップリング名を検索することがある。往々にしてエロいものを探しているが、何の脈絡も無くただエロいものは全く受け付けない。作品のストーリーや意図、キャラクターの内面に関して二次創作者と解釈が一致していて、且つエロければ尚良し、という気持ちで作品を探している。イラストであれば、キャラクターの危うい部分や脆弱性が表現されているものに惹かれるし、小説であれば、それを前提として、巧みな風景描写や比喩表現を用いて抒情的に綴られているものに惹かれる。そういった作品に運良く出会えると、私は冗談抜きに胸を締め付けられるような気持ちになり、より一層原作とキャラクターへの愛が深まる。

 二次創作に限らず、創作物を鑑賞する際にも私の好みの基準は同じである。登場人物に内面的な魅力があり、それが存分に生かされた作品が大好きだ。

 

 高尚な文学作品にこの基準を当て嵌めるなんて野暮なこと承知で言うが、この『娼年』は、そのような私の好みを凌駕した作品だ。

 

 まず、ひたすらに文章が美しい。それだけでも十分読みたくなってしまうほどに豊かで的確な描写で夢中になってしまう。作中には何度もベッドシーンが登場し、その一つ一つが粘度の高い艶やかな表現で綴られているのにも関わらず、俗っぽさが感じられない。正に清艶なのである。

 これは読書をする度に感じることだが、言葉で表現できないことを表現するためには、言葉を用いて藻掻くことが最適なのではないだろうか。表現したいたった一つのことのため、あらゆる言葉を検討し精選し、ほんの小さな核の周りに渦のように連ねていく。文学とはそういう作業のことを言うのではないだろうか。その作業の中で、言葉が核心をそっくりそのまま表現することは決してないが、肉薄する瞬間がある。時には、言葉が薄紙のように核心を包み込む。本書を読み、そんな瞬間を目の当たりにした。

 

 次に、主人公リョウの魅力について書きたい。

 リョウには穏やかな厭世観がある。悩まし気な態度、漂う倦怠感、バーテンダー。魅力的であるに決まっている。モテた経験はあるが恋愛や肉体関係に意味を見出すことができなかったリョウが娼夫となり、欲望の真意に思いを馳せながらその世界にのめり込んでいく。私の下手な説明では安っぽく感じられてしまうが、物語の中のリョウは完成されている。完成とは、格好良くて品位があるだけではなく、それらと不完全さの均衡が完璧であるということだ。

 この物語はフィクションだ。フィクションは、非常に現実的なことを表現するためにどんな非現実をも描出するのだと私は考えている。そこに現実味がなくても良い。小説は現実世界を舞台にすることも多いが、吟味すべきはそこにある非現実性なのではないだろうか。

 つまり、私はリョウの不自然なほどの魅力をこそ噛み締めたい。美しいファンタジーの裏にある現実、その裏にリョウはいるのではないかと、私は思う。幻想的で退廃的な偶像だ。

 

 最後に、この物語を推しカップリングを持つオタクや腐女子達に薦めたい。直木賞候補作品であることからも分かるように、本書は世間からの文学的な評価も高い作品であるが、同時に、私のように言ってしまえば下品な視点で楽しむこともできる。本書の魅力に触れれば、今後のオタク活動にもより一層精が出るだろう。

宇佐見りん『推し、燃ゆ』を読んで

 推すことで、人は何を得るのであろうか。

 

 私は、元来この物語の主人公、あかりのようなオタクが嫌いだ。推しのことをまるごと解釈したい、同じ世界を見てみたい、という心持に関しては激しく共感するのだが、自分の人生を推しに託しているという点が非常に苦手なのである。

 

 自分のことを幸せにできるのは最終的に自分だけではないのか、と感じることがしばしばある。推しが例え幸せそうに生活しているとして、それが自分の幸せに直結することなどあり得るのであろうか。勿論、我が子の幸せを望む親のように、いつでもオタクは推しの幸せを願ってはいるだろう。しかしながら、推しと雖も所詮は他人であり、そこから得られるものに限りがあるのは当然だ。まずは自分の衣食住を充実させること、その先にオタク活動という娯楽があるのではないか。

 

 ここまで書いてみて、もう一度あかりについて考えたい。果たして、オタクになる以前のあかりは自らの衣食住を整えることができていただろうか。答えは否だ。彼女は何らかの疾患を抱えていることもあってか幼少期から生き辛さを感じ、鬱々とした日々を過ごしていた。なるほど、だから推しに人生を託したのか。自己犠牲型のオタクというのは、オタクになって初めて自分の生活が崩れるのではなく、もともと破綻気味な生活を送っていたが為に過度に推しに陶酔してしまうのかもしれない。

 

 自分で自分の幸せを実現することを諦め、推しの幸せに全てを賭す。そんなオタク達の姿が私の目にはどうしても痛ましく見え、結果的に嫌ってしまっているのだと思う。自分を第一に考え、大切にすることがあなた達にとって何故そうも難しいのかと、もどかしさを感じてしまう。しかし、本書を通して気付かされたことがある。それは、そんなオタク達の文学性だ。推しの人生を介して自己実現を図るその生き様にこそ、得てして人が心惹かれる脆弱性、危うさがあるのではないだろうか。他人が分からず、かと言って自分を信じることもできず、気付けば女と水底に沈んでいた太宰治のような言いようもない悲哀がそんなオタク達にもある。アイドルを推す少女とは如何にも現代的な主人公であるが、本書が孕むのは古典的な風情なのだ。人が生きるために命を削ること、自分以外の何かに自分以上の価値を見出し、眩暈を起こしてしまうこと、それらを現代的且つ文学的に描いたのが本書なのだと、私は解釈する。

そらる『ユーリカ発売記念1日限りの無料アコースティックライブ』-感想・レポート

 感無量。言葉では表現できないほどに素晴らしい、言葉通り「夢のような」時間だった。

 

 登場から愛おしかった。スタッフさんかと思ってしまうほどにさり気なく、事務員Gさんがまず登場し、順におさむらいさん、ぐーさんが登場。そしてそれぞれがスタンバイ。幕も何もない薄暗いステージに、あまりにも何食わぬ顔で静かに出てくるものだから、どういう心持ちでいるべきか迷った。程なくして、楽器の3人と同じノリでそらるさんが登場し、客席は自然に拍手。こんなにぬるっとしたライブの始まり方を見るのは初めてで少し戸惑ったけど、その雰囲気が会場の規模と舞台の面子にとてもよく似合っていて、上手く言えないが、とにかく素敵だった。

 

 

 

・銀の祈誓

 

 単純に「歌がウメェ……」と改めて感心した。アコースティック編成な上に椅子に座って歌っているから、どことなくゆるいような軽いような、俗に言う「こなれ感」があったが、発声の良さはもちろん、表現力という観点においても、歌がとても上手かった。

 力むポイントでよくマイクを持つ手の逆の手を膝について前傾姿勢になって歌ってたんだけど、それがなんだか小さい子みたいに見えて破茶滅茶に可愛かった。

 

 

 

・MC

 

そ「本日は、ユーリカ発売記念1日限りの無料アコースティックライブ〜に、足を運んでくださって、ありがとうございます。発売記念と言っても、発売からしばらく経ってて、今はアルバム制作が佳境ということもあって、昔のことのように感じてるんですけど。おかげさまで、オリコン、3位?4位?5位?……(Gさんとおさむらいさんを交互に見て助けを求める)くらい!(笑)。えっと〜、3位を取ることができて!(笑)、ありがとうございました。まぁここに来ている方は、CDを買って、当たった選ばれし者だと思うので、応募も1万を超えたみたいで、言わなくてもアルバムを予約してくれてると思いますが。」 

 

そ「今日は、アコースティックライブということで、事務員Gさん、おさむらいさん、パーカッションにぐーさん(それぞれに客席は拍手)、という、知ってる人は知ってる、あこそらをやっていた懐かしいメンバーで、少数編成で、やっていこうと思います。シークレットライブなので、曲数は多くないんですけど、最後まで楽しんでいってください。」

 

そ「では、銀の祈誓をさっき歌ったので、シングルの曲をゆきどけ、嘘つき魔女と3曲、続けて歌いたいと思います。ゆきどけ」

 

 

 

・ゆきどけ

 

 とても綺麗だった。そらるさんはやっぱり、歌に対して「役者」のように向き合っているのだと感じさせられた。目を瞑って曲の主人公になりきっていて、一つ一つの言葉に表情がある。

 また、アコースティックアレンジに合わせて、普段よりも更に語尾語頭に気を遣って歌っているようだった。特に語尾の処理がとても丁寧で、それも歌詞に合わせて、息を吐き切らずに切ない含みをもたせたり、逆に息を軽く放って悲しいため息のように歌ったり、とても表現豊かだったと思う。

 

 

 

・嘘つき魔女と灰色の虹-accoustic ver.-

 

 可愛かった!!怒れてくるくらいに可愛かった。この曲を歌うそらるさんはいつでもにこやかで、楽しそうだけれど、アコースティックであるがためにそこに更にあの独特な体の揺れが追加されていて、私は、私はもう、、、(死)。SUNNYさんのアレンジが大好きなので他の記事やツイートでも散々言っていますが、間奏がとてもオシャレなんですよね。その魅力が今日の演奏陣のテクニックによって、最大限に生かされていて、思わず体を揺らしてしまうような感じだった。

 あとは、個人的に2番サビ前のノック音の時、そらるさんが徐に左手を肩の高さ辺りまで持ち上げて、そのノック音に合わせて軽快に下に向けた掌を左右に振ったのがツボだった。左手を持ち上げた時、てっきりノックの真似でもするのかと思ったら、まさかのシェイクで意表を突かれた気持ち。

 この曲を歌うそらるさんって、よく考えるととても不思議かもしれない。先述した通り、この曲を歌うそらるさんはあり得ないくらいに可愛い。それは、にこにこしながら物語を楽しむ様子が、絵本を読む小さい子どものように見えるからだと思う。しかしながら、この曲を歌うそらるさんは、絶対に、絵本を読み聞かせる大人でもある。低いトーンの温厚な響きからは、大人が持つ落ち着きや包容力が感じられる。一曲を歌う中で、小さい子どもと寛大な大人を演じ分けるそらるさん、とんでもない名役者だな?

 

 

 

・MC

 

そ「色々言うことはあるんですが、みなさんにまず言っておかなければならないことがあります。あの、今日の朝、起きたんですけど、そしたら首を寝違えていまして(笑)。動かせなくて、いつもより更に動きが固いと思うんですけど、歌には支障ないと思うので……。明日明後日あたりにマッサージ行こうと思います。」

 

そ「アコースティックって実はすごい難しいんだけど、アコースティックだからのびのびと歌える部分もあって、すごく気持ちよく歌わせてもらってます。」

 

そ「あこそらって、いつでしたっけ?」

G「最近もう僕らのことなんか忘れちゃったから(笑)」

そ「いやいやいや(笑)」

お「結構前だよね。平成、だったもんね。」

そ「それは平成。最近まで平成だった。」

G「今日が令和初のライブという人も中にはいるんじゃないですか?」

そ「そうか。でも昨日もちゃんげろソニックあったし、行った人結構いるんじゃない?行った人ー?」

(客席‪まばら Gさんも挙手)

そ「まぁ、いるね。」

お「舞台にも……」

そ「(Gさんを見て)あ、そうか、出演してたのか。いいなー、俺も出たかったんだけど、流石に昨日の今日で、…あれ?なんかおかしいな(笑)。まぁ、いいか。多分なんかおかしいけど。」

 

そ「あこそら来てた人とかいる?(客席挙手)あぁー、結構いるんだ。数年前は、アコースティックライブもやってて、最近は会場の都合とかでやれていなかったんですけど、久しぶりにこれくらいの規模で、て言っても十分多いんだけど、この規模も落ち着くな、と思います。ただ(客席が)近いから恥ずかしい(笑)。」

 

そ「シングルだけ歌うのもなんなので、カバーも数曲、やりたいと思います。」

G「え?もう歌う?」

そ「まだ話した方がいい?」

 

G「あこそらは、色々すごかったよね。ケーキとか出てきたり。」

そ「あ〜ありましたね。」

G「なんか、カフェの店員さんっていう設定で、そういうコンセプトでやりましたよね。あ、あと、もっとすごいのが、ステージにベッドが置いてあって、ステージの幕が上がると、そらる君がそこに寝てるんですよ!それで、電話が鳴ってそらる君が出ると、相手が僕なんです。『引っ越しするって言ってたよね?準備はできた?』って聞かれて、『準備万端です』って答えるんですよ。これ、嘘なんですけどね?さっきまで寝てたんですから。で、みんなが入ってきて、部屋でセッションするっていう。そこで、大きいところでライブやれたらいいね、って話してるんですけど、要は、これ、そらる君のライブが決まる前の再現ドラマなんですよ!おさむらいさんがね、夢に出てきて、『何やってんだよ!今日はライブなんだから、寝てないで起きろ!』みたいなことを言って、そらる君が『夢の中でもいいからワンマンライブしたいな』って言ったら、そこにステージがあって、そらる君が出てくるっていう。」

(終始そらるさんは頷きながらお話を聞いてた。)

 

お「あこそらが初ワンマンだったの?」

そ「その前に、渋谷でやってたよね?」

G「智久君のライブの時に、『僕もやれたらな…』(モノマネ)って言ってたの覚えてる?」

そ「え、全然覚えてない。」

G「やりたいって言うから、僕が会場の方に話してみたんだけど、個人には貸せませんって言われて。」

そ「へぇー、そうなんだ。」

G「っていう話を、幕張のときに思い出してたの。」

 

お「あのー、ETAのときに、打ち上げで大きいところでやるにはどうしたらいいかって話してて、半分冗談みたいな感じで『ジャニーズ入っちゃえば?』みたいなこと言ったんだよね(笑)。」

そ「ジャニーズ、、、(笑)。大分適当な答えだなそれは。」

 

そ「うーん、大きくなったとは思うんですけど、あんまり変わらなくて。今は、多分800人くらい?いると思うんですけど、300人とかでも多いじゃないですか。だから、あんま変わんなくて。これからも、変わらないんだと思います。」

G「まぁ、それが、良いところなんじゃないですか?」

そ「じゃあ、ずっと取り留めのない話をしててもあれなので、歌いましょうか。」

 

 

 

・命ばっかり

 

 さっきまで取り留めのない会話で満たされたゆるい空気が漂っていたはずなのに、前奏が始まった瞬間、一気に会場がオシャレ空間にシフトして驚いた。この曲はグルーブ感があり、ジャジーなリズムが独特で面白い曲だ、と改めて感じたし、アコースティックライブにこの曲を持ってきたのは天才だと思う。

 ジャズのノリに合わせて、そらるさんがグルーブ感のある動きを繰り出してきたのはめちゃくちゃ面白かった。思わず笑った。体の揺らし方がいつものたゆたうような動きとはまた違って、妙なキレがあって。でもキレがあるからと言って格好良いわけでもなく、部分的に軟体動物的な動きもしてて、意味わからないけどおもしろ可愛かった。

 歌は言わずもがな良かった。ブレスのタイミングを逃すとか、歌詞が飛ぶとか、所々ミスはあったものの、全体としては曲に見え隠れする鬱々とした雰囲気が表現されていて、魅力的だったと思う。特に、サビの圧を感じさせるような歌声が格好良くて好きだった。

 

 

 

・おとなになったら

 

 スタプラ曲を歌ってくれたの天才すぎ有難すぎ神に感謝そらるに感謝。

 この曲は声の使い分けが上手かった。柔らかくて繊細な絹糸を丁寧に紡ぐような歌声と、感情が溢れ出すような訴えるような歌声とを使い分けていて、曲に起伏があってすごく引き込まれた。月明かりが差し込む小さな子供部屋と、星がばら撒かれた広くて深い宇宙、という二つの場面がフレーズ毎に切り替わっていた。それによって、静かな所はより繊細で優しい響きに、盛り上がる所ではより壮大に、広い響きに聴こえて、巧みだったと思う。

 後半に出てくる1番の盛り上がりのロングトーンでは、また語尾の処理が上手かった。すごく伸びのある迫力満点な声が、力強く宇宙に広がって、会場に漂って、最後には空気に馴染んでいった。あんなに綺麗なロングトーンって他にある?というくらいに感動して、訳もわからず泣いた。

 

 

 

・MC

 

そ「世間は母の日、ですが、なにかやりましたか?俺は誕生日が近いということもあって、ワイヤレスイヤホンが欲しいと言っていたので、あげようと思ってるんですけど。なんかしましたか?(Gさんに振る)」

G「え、あ、僕!?」

そ「Gさんのところ、仲良いですよね。なんか、一緒に料理作ったりして。」

G「一回、実家来たことあったよね?」

そ「美味しいご飯を食べさせてもらって」

G「代わりに一曲歌わされるという(笑)。『まさかタダでは食べさせないよ』って(笑)。今思うと贅沢な話なんですけど。」

そ「Gさんのお母さん、パワフルな方ですよね。実家がお店みたいですよね?おしゃれで。」

G「うーん、広くはあるね。あれですから、東京で家にたくさん人を招いているのは、東京支店ってことですから。」

そ「グランドピアノとか、置いてあるんですよね。」

G「でも、そらる君のところには暖炉があるんでしょ?お風呂上がりに、ガウンを着て、猫を撫でながら、ワイングラス片手に、」

そ「ウィスキー(笑)」

G「ウィスキーか、ウィスキー飲んで。あれでしょ?窓から眺めて、天下取ったなーって喜んでるんでしょ?」

そ「天下取ったんだ(笑)どういうことだよ。伊達政宗的な。でも、田舎なら暖炉あるんじゃないの?ある人いる?」

(客席挙手)

そ「あぁ〜。でも、暖炉もいろいろ種類があって、個体差がある。あ、暖炉があると煙突がつきますよ!」

お「え、そうすると、クリスマスどうなるの?サンタさん…」

そ「(笑)。クリスマスは、おじいちゃんの家で過ごしてました。だからプレゼントは枕元にあって。」

G「何もらうのが一番嬉しかった?」

そ「えぇ〜、なんでも嬉しかったですよ。」

 

そ「えっと、脱線しまくりましたけど、母の日!ということで、聴いてください、おかあさんの唄。」

 

 

 

 

・おかあさんの唄

 

 圧倒的本日のMVP。まさかこの曲を歌ってくれるなんてあり得ないと思っていたから、現実に起こってしまって理解が追いつかなかった。夢を見ているのかと思った。

 柔らかくて包み込むような歌声は正に「おかあさん」のようで、そらるさんってお母さんなの?子育てしてるの?(偏差値20)となった。曲への愛情も、曲の主人公としての子どもへの愛情も伝わってきて、暖かくて感動的だった。終始涙が止まらなくて、堪らなく好きで、どうしようもなかった。

 同じようなフレーズが繰り返される曲だけど、そらるさんは一つ一つの歌詞に合わせて、100%の感情をのせて歌っていて、全てのフレーズが全く違ったものに聴こえた。映画「おおかみこどもの雨と雪」の主人公、花の心情を本当に忠実に歌い上げていたと思う。出だしの息混じりな声で歌ったところでは、花が2人の子どもに優しく語りかける様子を想像させられたし、「新しい朝 新しい光 世界はあなたのためにある」の明るく華やかな旋律では、花たちが草原で光に包まれる様子が想像させられた。中でも印象的で好きだった部分は、最後の「いつかあなたが旅立つときは きっと笑って見送ってあげる ううう ううう でもちょっとさみしいかな うおおん うおおん おねがい しっかり生きて」の部分。花と雨のあの感動的なシーンが脳裏に浮かんで、嗚咽してしまった。母親としては笑顔で背中を押したいけど、やはりとても悲しくて、引き止めたい。溢れそうになる涙を必死で抑えて、目一杯の願いと共に「しっかり生きて」と。笑いながら涙を堪えて、力強く背中を押す歌声が、聴く人の心に直接感情を注ぎ込むように会場に響いていた。

 

 

 

・MC

 

そ「いや〜良い曲だな。いつまで経っても大好きな曲です。さて、終わりの時間が近づいてきました。とは言っても、ユーリカの曲をまだやっていないので、最後にシングル3曲をやって、終わろうと思います。」

 

 

 

・群青のムジカ

 

 正式に音源化した方が良くない?と思うほどにアレンジが素敵だった。アコースティックらしい耳触りの良さと、温かみと軽やかさがあった。そらるさんの感情がより篭っているからか、歌詞の良さも改めて感じた。

 この曲だったか記憶が定かじゃないんだけど、確かこの曲の最後のフェイクのアレンジがすごく良かった。フェイクに入るところで既に「アレンジ来るな」と察した筈なのに、いざ実際にやられたら想像の500倍は格好いいし大好きで、心の中で崩れ落ちた。

 

 

 

・長い坂道

 

   そらるさんは終始目を瞑っていて、きっとあの瞼の裏には、自身の学生時代の思い出が走馬灯のように流れていたんだと思う。一言一言を懐かしみながら愛おしそうに歌っていて、陳腐な表現だけどとても心に染みた。ライブハウスやアリーナで歌うよりも幾分かおっとりした柔らかい声色だった。郷愁やかつての切実な思い、大切な思い出、そんな色々なものを感じさせられる時間だった。

 多分この曲のラスサビの音程が下がる部分で、意図して段階的に下げるフェイク(説明が難しい)をやってて、アコースティックに合ってるのと単純に私がそういう類のものが好きなのが合って、とても胸を打たれた。

 

 

 

・MC

 

そ「この曲を歌うと、ついこの間のことですけど、幕張を思い出しますね。だんだん規模が大きくなって、こういうアコースティックライブをやるといいなと思います。またいつかやると思うので、その時はぜひ来てください。」

G「今日は3人だけど、幕張はオーケストラも入ったから40人とかだったよね。」

そ「すごいですね。Gさんも実は出てて、1日目に既に『Gさんがシンバルやってた』ってツイートした人がいたんだけど、Gさんがそれを見つけて『家にいた』みたいな、なんかいなかったみたいなツイートをして、」

G「いや、あの街中に出た写真とかを投稿したんだよね。」

そ「そしたらその人ツイート消してて可哀想だった(笑)。」

G「ホテルでゲームしたんだよね。ゆーまお君が下手で、僕が意外と上手くてって言えなくて、困ってましたね。」

そ「そう、なんか反射神経ゲームみたいなやつGさんが上手くて、でもなんでいるの?ってなっちゃうから言えなくて。事故っぽくなりましたね。色んなゲームをやって、カービィとか……くそしょうもないゲームをやって、でもめちゃくちゃ楽しかったですね。」

 

そ「あ、ユーリカを歌わせてもらったらもう終わります。先に言っておきますけど、今日はアンコールがないので。先に言っておかないと舞台みたいに何回も出て来なきゃいけなくなっちゃう。あのずっと拍手するやつ結構疲れますよね。あれって回数決まってるんでしたっけ?」

G「ああ、なんか決まりが多くて。」

そ「へぇ〜。大変ですよね、出てきて歌い出すわけにもいかないから。」

G「いいですよ?歌ってくれたら僕弾きますけど。」

(客席拍手)

そ「(苦笑)」

G「ごめんごめん、そういうのじゃないんだ。」

そ「あれってなんていうんですか?」

G「カーテンコールじゃないですか?ピアノのコンサートの時って、第1楽章と第2楽章の間は拍手しちゃいけないんですよ。もう亡くなられたんですけど、中村紘子さんっていうピアニストさんがいて、その方の田舎でやったコンサートに行ったときに、第1楽章の後に盛大な拍手が起こっちゃって(笑)。それで、紘子さんが『止めて!』って静止したんですよ。」

そ「へぇ〜(笑)。でもそれって、嫌なわけではないんですよね?」

G「うーん、多分、第1楽章と第2楽章、第3楽章は繋がってるから、」

そ「ああ、間で止められたくないんだ。それって、拍手しちゃった人ってどう思われるんですかね?」

G「どうってことはないけど……。」

そ「田舎者って思われるんだ(笑)。みんなはアンコールどうしてるんですか?」

G「僕はいつもアンコール無しにしてる。アンコールの間にもう一曲やりたいと思っちゃう。」

そ「なるほど。確かになんであるんだろう。」

お「俺はいつもアンコールやってるんだけど、中国でライブやったときに、あんまり日本人がライブやらないところで、アンコールが起らなくて(笑)」

そ「中国の人ってライブ慣れしてないイメージあるよね。」

お「あと、歌ってほしいところがあったから歌ってもらったんだけど、止めてほしいところで止まらなくて(笑)、」

そ「ずっと歌ってるんだ(笑)。」

お「しかもそのあと転調するから不協和音になっちゃって、困りましたね。」

G「なんか、中国の方ってずっとスマホで撮ってない?アナウンスで、『録音録画は、コンサートが中止になる恐れがあります。』みたいなこと言っても、全然やめないの。」

そ「えぇ〜(笑)。」

G「中国行ったことあったよね?」

そ「そうそう、歌わずに帰って来た。」

G「何もせずに帰ってきたんだっけ?」

そ「リハーサル中に電源落とされちゃって。」

G「あー、リハーサルやってたらおじさんが入って来て、こうやっていって(電源を落とす仕草)、できませんって。」

そ「そう、中国のなんとか記念?何周年みたいな感じでお祭りがあって、そっちに行かずに日本人のイベントに行くなんて、みたいな感じでやらせてもらえなかったんですよね。」

G「それこそ色んな人たちを連れてみんなで行ったのにね、GARNiDELiAとかもいて。」

そ「そうでしたね。でも、向こうの人たちも『なんでやらないんだ!』って感じじゃなくてちゃんとわかってて、『うちの国のせいですみません』みたいな感じでしたよね。」

 

そ「今朝サンドイッチ食べたんですけど、酸っぱかった(笑)。賞味期限は5月11日。3日間机の上に放置されたサンドイッチ食べた。」

G「最近あったかくなってきたから。」

そ「しかも半熟たまご。‪もう一口目で気付いた。それでそのあとは食べなかったんだけど。今日大丈夫かなってちょっと心配してたけど、大丈夫でした。もう水いっぱい飲んで乗り切りました。」

G「それから何も食べずにきたんですか?」

そ「はい、こっち来てお弁当食べました。」

G「それは楽屋でね、頂いたのでね。」

そ「前も、中が赤い鶏肉を気付かずに食べたんだけど、お腹壊さなかった。」

G「前はよく壊してなかった?」

そ「強くなったかもしれない。何度も腐ったもの食べるから、慣れて免疫がついた。」

G「なるほど。昔の、あの頃のそらる君の話して良い?あぁ、でもまだやめとくか。」

そ「え?話して良いですよ。」

G「そらる君が昔住んでたアパートがあるんだけど、すごくて、本当にゴミ屋敷だった。」

そ「狭かったしね(笑)。」

G「大丈夫かな?って思ったもん。」

そ「だって、まだ学生でお金がなかったんですよ。学校の帰りに吉野家に寄って、安い牛丼買って済ませてた。1日1食。」

G「最近、ブログみたいなのを書いてて、もうあなたは登場してるんですけど(そらるさんの方を見ながら)、」

そ「はいはい」

G「すごい細かったんですよ、小さいライブで、『あの、すみません…(モノマネ)』って、僕は違う方の伴奏で来てたんですけど、『僕の伴奏もやってもらえませんか……(モノマネ)』って言ってきて。引っ越したって聞いた時は安心しました。今は大使館みたいなところに住んでるんですもんね?」

そ「そう、100平米の庭付き。」

G「あれでしょ、暖炉に思い出の写真とか投げ込んでるんでしょ?」

そ「(笑)」

G「なんかこう、『Thank you……』って言いながら(笑)。」

そ「何があったんだ(笑)。わかんないわかんない、元ネタがわかんない。」

G「で、あれでしょ、壁に鹿がこう、ついてるんでしょ。あの、ぶつかっちゃったやつ。」

お「おしりだけ出てるってこと?」

G「違う違う、ぶつかっちゃったやつ。何で2人ともピンときてないの?」

そ「あれでしょ、剥製。」

G「そうそうそうそう!」

そ「壁にぶつかって、頭だけ突き抜けちゃったってことですよね?俺には伝わってましたよ。」

G「将来、どんな家に住みたいんですか?」

そ「それは、現実を加味せず?」

G「加味せず」

そ「じゃあやっぱり、使用人がいる、」

ぐ「上様のおな〜り〜(笑)。」

そ「いや、洋風な。」

G「じゃああれだ、『あの鐘の音は……!若様のお帰りだ!』みたいな(笑)」

そ「基本全自動。もう、座ってるだけで準備ができる。」

G「一つ趣味部屋があったら何にする?昔、ある政治家がいて、汚職で捕まったんだけど。その人が家から出ると、絶対立ち寄るマンションの一室があったんですよ。それで、警察の人たちは知ってたから『絶対愛人の家だ』って言ってたんだけど、逮捕して、鍵をもらって入ったら、部屋いっぱいに鉄道模型が置いてあって。だから、忙しい合間を縫って、こうやって(模型で遊ぶ仕草)やってたんだよ。」

そ「(笑)。眺めてたんじゃないの?囲まれてるだけで良いみたいな。」

G「で、そらる君は?」

そ「ニコファーレってあるじゃないですか?」

G「ありますね。」

そ「もうなくなったのかな?」

G「なくなってませんよ!勝手に無くさないでください!」

そ「そうか。あそこって、全面がスクリーンになってるじゃないですか。あんな感じで、もう全面が画面になってて、球形の部屋。それで、VRのあれをつけなくても、VRのゲームができる。」

G「えぇ〜、それ、出て来なくなるでしょ?」

そ「そう。でも、屋敷の中だからボタンを押せばご飯も出てくるし、大丈夫。」

G「それって幸せなの?」

そ「幸せですよ〜。」

G「そういえば、最近料理してたよね?」

そ「そう。親子丼。オリーブオイルで。」

お「もこみちじゃん。」
そ「オリーブオイル入れて、アスパラじゃなくて、いんげん入れて、焼肉のたれ?入れたんだっけ。違う、すき焼きのタレか。でも、鶏肉とたまごとすき焼きのタレってうまいじゃないですか。」

G「うん、だって、それすき焼きだもん。いんげんも大丈夫だよ。」
そ「いや、いんげんは量がおかしかった。だって、冷凍のいんげんを丸々一袋入れたんですよ。」
事「そらる君の家に冷凍のいんげんがあるんだ……。そらる君が冷凍食品売り場の前にいるの面白くないですか?」
そ「いや、通販で買えるんで。」
事「通販か〜。ポイントカードとかは作らないの?」
そ「作らないですね。全部なくすから。聞かれても断ります。」
事「親子丼の数日後にうちに来たから、親子丼を作ってあげようと思ったんですけど、帰っちゃって。」
そ「みんな帰ったんだよね?あのあれ、しょうが食べました。あれめちゃくちゃ美味しいですよね。レシピ載せた方がいいですよ。」
事「再掲します。」
そ「あ、もう載せたんだ。俺作ろうと思って、スーパー回りましたもん。」
事「時期によってはなかったりするよね。」
そ「谷中しょうがだと伝わらなくて、でも葉しょうがって言ったら伝わった。おすすめです。」

 

そ「そろそろやりますか。ユーリカを買ってくださって、ありがとうございました。アルバムの方も、まだ発表されてないことが色々とあるので、楽しみにしていてください。気の抜けた感じで、大丈夫かなという感じでしたけど、楽しませていただきました。」

 

 

 

・ユーリカ

 

 毎度のことながら、最後の曲では曲への感動よりもライブが終わることへの悲しさが勝ってしまう……。夢のような時間だったと、ライブが始まってから今までの様々な場面が頭をよぎった。

 前奏でそらるさんが手を左右に振るように促したんだけど、あの腕、絶対骨が入ってなかった。ダラーンと左右に傾けてて思わず笑った。可愛い。

 

 

 

 ユーリカ後奏中に両手のひらを合わせて、三方向くらいにお辞儀してた。そのポーズのチョイスが絶妙で、最後の最後まで可愛かった。

 「今日はありがとうございました〜。また、どこかで会いましょう。」と言って、登場と同様、ぬるっとはけていった。  そらるさんに続くように演奏陣も退場して、終演。

 

 

 

〈感想メモ〉

 

・素晴らしいライブだった。こんなに感動したライブは久々だった思う。会場の雰囲気に合わせて客席に歓声は無く、MCではただ温かい拍手と控え目な笑い声が起こってて、本当に居心地が良かった。

 

・そらるさんが言うように正に「ラフな」空気がずっと漂っていて、MCも雑談放送を垂れ流しているかのような感じで、ナチュラルに面白かったし微笑ましかった。

 

・事務員Gさんがそらるさんの話をどんどん引き出してくれるし、MCを伸ばしてくれるし、有難すぎた。Gさんはそらるリスナーに優しい。

 

・そらるさんの水分補給に対して言いたいことが多すぎる。アウトロが終わる前から飲み始めるの面白すぎるし、MCで自分が話してる途中に飲むのもそらるさんくらいだろうし、何より水を飲む時に絶対正面を見るのはどういうつもりなの?そらるさんの右手側の机にお水が置いてあったんだけど、右向いてペットボトルを手に取った後必ず正面を向いてからストローを咥えてて、意味がわからなかった。分厚くないのにちょっとぽってりした可愛らしいお口を、水分補給のたびに包み隠さず見せつけられて頭抱えた。

 

・MC中に双眼鏡でそらるさんを見てると、大体その真後ろにぐーさんが見え隠れしてて何度か笑っちゃった。ぐーさんマスコットみたいで可愛い。好きです。

 

・命ばっかりの時に、下から照明が当たる時があって顔に影が落ちたんだけど、アンニュイな雰囲気が格好良かった。

 

流行っているらしい

 昨今はnoteが流行っているらしいですね。事務員Gさんの影響ですか?皆さんが楽しそうなので、私も書きます。新しく開設するのが面倒なのではてなブログで書きますが。

 

  さて、ツイッターで何度も呟いていますが、皆さん、睡眠不足は害悪ですよ。体にも心にも悪いです。なんだか苛々する、気分が悪い、やる気が出ない、辛い、と思ったら、何もかもを忘れて寝てください。寝ることが一番です。

 

  自分が苦しい時には、難しいことを考える必要なんてないと思います。まずは自分のことを大切にする必要があります。自分を大切にすれば、他人に優しくなることもできると聞きました。

 

  私は「苦労した分、人は優しくなる」とかそういう言説は全く信じていません。我慢を美徳とする文化は、平成と共に過去に置いて行くべきです。我慢すると、自らを消耗します。その結果、人は他人に攻撃的になります。

 

  何が言いたいのかよくわからなくなってしまいました。今書いた多くのことは、私が尊敬する方々から聴いたり学んだりしたことです。兎にも角にも、たくさん寝ましょう。良い夢を。

10th Anniversary Parade -名古屋-【感想・レポート】

2019/03/28

SORARU LIVE TOUR 2019

-10th Anniversary Parade-名古屋

 

 

 

 

開演直前、マキュリアの音源が流れ出して、一気に会場に歓声が溢れた。その間にメンバーがスタンバイしてるのが幕越しに伝わってきて、心拍数が上がって鳥肌がすごかった。

 

 

 

・銀の祈誓

 

  MV同様、力む箇所で眉間に皺を寄せて険しい表情で歌ってて格好良かった。以前は力んだり高音を出したりする時、目をぎゅっと瞑って頭を左右に振ってたと思うんだけど、今回のライブで見たら、今までならそうしていたであろう場面で毎回眉間に皺を寄せていた。多分癖が変わったんだと思う。正直どちらも破茶滅茶に可愛くて好き。必死な表情にはやっぱりどうしようもなく胸を打たれる。

  一曲目というのもあって、ひたすらに圧倒された。何度見ても、いつもは画面の中にいるそらるさんが目の前にいるという奇跡には感動する。訴えかけるような感情的な歌声で、一気にエンジンをかけているようだった。

 

 

 

・セパレイト

 

  音源でもライブのような歌い方をしている曲で、ライブだとどうなるのか気になっていたから、実際に聴くことができて感激した。

  この曲を歌うそらるさんの、爽やかで臨場感のある歌声を聴いて、やっと自分がライブに来ているということを実感できた。音源と同じように、少し前の歌ってみたのような、喉を思いきり開いて息で声を押し出す発声をしていたんだけど、これがまぁ大好物ですごく美味しかったです。

  そらるさんが突然「かもん!」って言って煽ってきたのにもまた興奮した。噂は何となく耳にしていたもののやはり実際に目にして耳で聞いて、ドキッとしたしあり得ん可愛かった。今思い出してもあれは絶対に平仮名の"C'mon"でした。

  あと、この曲からちゃんとそらるさんの笑顔を見ることができた気がする。相変わらず丸っこくて度を超えて愛らしいそのお顔を前に、何かが溢れ出しそうで奥歯を噛む思いだった。見る度にあどけなさが増している気がするから、きっとあれは真のアンチエイジングです。

 

 

 

・群青のムジカ

 

  セパレイトの発声とは全然方向性が違う、会場を突き抜けて伸びるような響きのある発声で歌っていて、とても驚いた。曲の雰囲気としてはセパレイトと似た要素があると思うんだけど、その発声の違いによってそれぞれで異なった聴き方ができて、全く間延びしなかった。特にサビの高音ロングトーンの爽快感がとても気持ち良かった。あと、「花は開く」っていう歌詞のところ、マイクを持っていない方の手を前に出してから横にスライドして、正に"開く"という感じの動きをしてたのも良かった。歌詞の表現という意味でも良かったし、フレーズの最後を客席に放つようなイメージにも繋がって、すごく上手かったと思う。

  ここまで全体的に歌にとても安定感があったから、この辺りで、今日はそらるさんのコンディションがとても良い日だと確信したし、安心して聴いていられると思った。

 

 

 

【MC】

 

 

 

・シャルル

 

  聴く度に思うし言っているけど、完全に自分のモノにしてる。何度も歌ってきているからというのもあってか、すごく余裕を持って歌えている感じがした。Bメロで音にはめるように肩から手にかけてを左右交互前後にしならせる動きが相変わらず素敵でした。あのダンスを‪見ると最早安心する。この曲の時はやっぱりよく体がしなっていて、クラゲのようでした。

  いつもこの曲を歌うときの儚く憂いを帯びた雰囲気とは違って、曲の前半はまだMCのゆったりした生身のそらるさんの雰囲気を引きずっている感じがして、それがまた愛らしいし微笑ましくて良かった。でも、落ちサビの最後、一気に意識を集中させて勢いよくブレスをしてからミックスボイスで「見えないや」と歌う姿は、MCで見せた姿とはやっぱり全く違った。あまりの格好良さに暫時は呼吸を忘れた。

 

 

 

月世界旅行

 

  まさかこの曲を歌ってくれるとは思っていなくて、あまりにも予想外だったから本気で理解が追いつかなかった。いつかに、やすひろさんの曲では月世界旅行が一番好きだ、と言っていたそらるさんの感性が私は大好きです。この曲を歌うそらるさんの少年のように輝く瞳を見ながら、間違いなくそらるさんが宇宙で一番魅力的な人だと思った。 

  細かなメロディーラインに転調、変拍子が重なって、兎に角歌いづらい曲だと思うから、ライブでこれを歌うなんてなかなかの暴挙な筈なのに、そらるさんは楽しげに上手く歌い上げていて、その歌唱力の高さに感服した。2番Aメロ辺りで歌詞がうまく言えず噛みかけて、決まり悪そうに苦笑いで誤魔化すそらるさんもなんだか好きだった。大丈夫大丈夫、それくらい全然気にならないよ、と声を掛けたい気持ちだった。

  間奏ではそれぞれのソロに合わせてバンド紹介。そらるさんがその途中、maoさんを飛ばして「キーボード、ゆうりー!」と言ってしまい「あっ」となってた。勿論ちゃんと訂正してた。こういうミスもリアリティーがあってとても良いです。

 

 

 

・愛言葉III  

 

  歌詞の内容と10周年っていう事実が相まってとても感動した。勝手に感謝されてる気持ちになるくらいには、感極まっていた。会場の多くの人が、そらるさんを応援し始めてから今に至るまでの様々な出来事を思い出さずにはいられなかったと思う。まず、そらるさんが今この舞台で歌ってくれていることに感謝の気持ちでいっぱいになったし、これからも愛を持って応援していきたいと思った。でも、出だし特に、ぶりっ子っぽく歌ってたのには思わず笑ってしまった。とてもよく可愛い。

  「バカ」の掛け合いの前、客席に向かって「よろしくね」と言ってくれて、その微妙に砕けた言い方がどうにもくすぐったくて、でもすごく嬉しくて、取り敢えずデカい声で「バカ」と叫んだ。あと、DECOさん曲メドレーの部分は、一気に複数曲聴くことができてなんだか得をした気分になったし、単純に完成度が高くて胸を打たれた。

 

 

 

【MC】

 

 

 

・Liekki

 

  圧巻の一言。

  本の読み聞かせのように丁寧で暖かな歌い出しで、一言一言を大切にしようという気持ちが感じられた。言うなれば、壮大なアニメ映画の始まりのナレーション部分のような感じだった。でもなんとなくサビに向けた緊張感も伝わってきて、ドキドキした。Bメロの歌い方も巧みで、じわじわと胸を高鳴らせてくれる感覚がとても心地よかった。サビ前には一度大きく息を吐いて、一旦体をリラックスさせて高音部に備えていて、その姿にはなんとも言えない魅力を感じた。ラスサビ前の「炎さ」のあとにどんどん音が高くなるところ、苦しいかな?って若干心配したけど全くそんなことはなく、寧ろ上がれば上がるほど気持ちよく響いていたからそらるさんの声は完全に宇宙を超えた。

  広く遠くまで響く歌声は、「壮大」という言葉の権化。会場を通り越して宇宙にまで響き渡るようで、忘れられない感動を与えてくれた。

  全体を通してあまりに完璧に完成されていたから、もう、言葉にするのが難しいけど、本当に感心したし感動したし感激した。またいつかライブで聴きたい。

 

 

 

・嘘つき魔女と灰色の虹-acoustic ver.-

 

  SUNNYさんの遊び心あるアレンジが、ライブ全体の中で良いスパイスになっていたと思う。アコースティックの柔らかい音がとても耳に優しくて、思わずゆらゆらと体を揺らしたくなるような心地だった。

  曲の話になってしまうけど、このアレンジが個人的に本当に大好き。優しい音が仕掛け絵本を形作り、そらるさんの温かい歌声がその絵本を辿るようで、聴いていてとても心地が良い。先述したように遊び心も満載で、聴く度に新たな発見があるところも楽しい。ライブで聴いたときは、鳩時計の音をあのタイミング入れたの天才だな、と改めて感心した。

  2015年に作られたこの曲を、また新しい気持ちで聴くことができるのもまたとても嬉しい。

 

 

 

・文学少年の憂鬱

 

  照明の演出が巧みだった。出だし、静かに独白するそらるさんを照らすこれと言った光はなくて、どうしようもない孤独な暗闇が舞台に渦巻いていた。でも、サビに入った途端、そらるさんが悲壮な叫び声を上げると同時に、舞台に真っ白な光が差して、スタンドマイクにしがみつくそらるさんを白く浮かび上がらせた。その姿には会場全体が震撼したと思う。今にも消えていなくなってしまいそうな、いや寧ろ、そこにいるそらるさんが幻影かのような、そんな心地にさせられた。胸が痛くて、涙がこみ上げてきて、やり場のない悲しみに全身を覆われた。どうかそらるさんが光に溶けてしまわないように、消えてしまわないように、祈るばかりだった。

  2番の「『恥の多い生涯だった』って」から「どうしても頭から離れない」までのところは、子音を立てて本当に嘲笑するように歌っていて、やっぱり胸に響いた。1番最後の「行け」のロングトーンの伸びは凄まじくて、ここまで伸びるのか、と驚いた。

  歌が終わってそらるさんが「ありがとう」と掠れた声で言ったときは、何とも言えない安心感を覚えた。そらるさんがそこに存在していることに、心の底から安堵した。いつまで経ってもこの曲は  そらるさんにとってもリスナーにとっても特別な曲だと思う。

 

 

 

・instrumental

 

 

 

・ゆきどけ

 

  伏し目がちに歌う姿が儚く美しくて、とても切なくて、白くぼやけた淡い空気感が会場に立ち込めていた。正に愛しい誰かと内緒話か約束をしているような優しい歌い方には、胸がキュッと締め付けられた。  よく瞼を閉じて言葉を噛みしめるように歌っていたんだけど、瞼に乗った赤っぽいアイシャドウによってその動作がより映えて、本当に作り物のように綺麗だった。

  歌ってる最中にくしゃみか咳をしたそらるさんが少し申し訳なさそうな顔をして、一瞬心配したけど、直ぐに持ち直していた。プロの気概を見られた気がした。

  ラスサビあたりで雪のようにシャボン玉が降ってきたのも、この世のものとは思えないくらいに綺麗だった。「二人の熱を掌に閉じ込めた」という歌詞のところ、掌に落ちたシャボン玉を優しく握りしめる動きをしたのがあまりにも素敵で、目を奪われた。

 

 

 

【MC】

 

 

 

・アイフェイクミー

 

  サビは映画の予告映像で聴いたことがあったけど、AメロBメロがセリフ調になっていたのが予想外で驚いた。何だかんだ、まふまふさんの書き下ろし曲はとても良く似合うと思いました、早く音源を聴きたいです。

  所々で見せる片方の口角を上げる不敵な笑みがあまりにもえっちで格好良かったし、「全ては掌上のマリオネットだ」という歌詞のところは流石に腰抜けそうだった。あんなゴミでも見るような目で見られたら、思わず殺されたくなってしまう。思い返すほど官能的で格好良かったので、あれがもしも映像化されることがあったらかなり危険だなと思います。

 

 

 

・マダママゴト

 

  18禁の舞台だった。あんなにセクシーな目は初めて見たかもしれない。頭の先から足の爪の先まで、全身から色気が滲んでいて、あれ?いつもの赤ちゃんらるぴは何処へ?と思った。あんな度を超えて挑発的でセクシーな表情も見せられるなんてこの時まで知らなかったし、出来るなら事前に教えて欲しかった。とにかく、そらるさんじゃないかのようなお顔がとても衝撃的でした。

  歌も本当に格好良かった。正直、前までこういう曲ってライブでどう魅せるのか想像つかなかったんだけど、そらるさんがとてもアーティスティックに歌い上げていて、うわっそういうことか〜天才!!!!となった。早口で畳み掛けるようなところも正しく忠実だったし、サビ前のロングトーン各所も破茶滅茶に格好良くて、魅力が溢れすぎていて消化しきれなかった。

  これは毎回歌ってほしいです。あまりにも素晴らしかった。

 

 

 

【MC】

 

 

 

・Lemon(リクエスト曲)

 

  ちょっと昔のボカロ曲を歌ってくれることを心の何処かで期待していた身として、一瞬がっかりしたけど、直ぐにあっさりそらるさんの魅力に呑まれてしまった。

  何がすごかったかって、圧倒的に"表情"。あんなに悲しそうなそらるさんは間違いなく初めて見ました。なんというか、心の底から辛そうだった。他の全ての感情を覆い隠してしまうほどに、悲しみに満ちた表情。身振り手振りで胸を打たれることはそれまでにもあったけど、表情でここまで感化されたのは初めてだった。

  直前のMCで「この曲難しいんだよなぁ」と笑いながらぼやいていたとは思えないほどの見事な歌いっぷりにも、心臓を鷲掴みにされた。単純に歌が上手くて、素直に聴き入ってしまった。

 

 

 

・夢のまた夢

 

  みんなこの曲好きなんだな、と思った。始まった瞬間の歓声と盛り上がりがすごかった。

  以前は覚束なくてばぶりてぃ高かったサビの手拍子は、今はもう手慣れてあっさりできてて、嬉しいようなちょっと淋しいような複雑な気持ちだった。笑顔で楽しそうに歌うそらるさんを見てると、こちらまで笑顔になるし元気がもらえる。相変わらず客席に歌を振るタイミングが急だしちょっと雑だったけど、そういうところに安心してしまう自分がいる。

 

 

 

・彗星ハネムー

 

  楽しすぎた。丸いほっぺたを思いっきり持ち上げてニコニコ笑うそらるさんがあまりにもおぼこくて、可愛くて、絶対マダママゴトを歌ったそらるさんとは別人で、推しが尊いってこういうことなんだなと身に染みてわかった。

  あと、煽り方にすごく成長を感じて、「  そらるさんが成長してるえらい天才大好き;;;;」と頭悪いオタクになってた。特に「片道切符でも」の後に「いいですか?」って問いかけて客席が「いいですよ!」と問いかける形式になってたの、すごく興奮した。2番の「動かない」で申し訳程度に止まるのも、相変わらず可愛かった。

 

 

 

【MC】

 

 

 

・FirePit

 

  コール&レスポンスが楽しかった記憶しかなくて、ちょっと、よく覚えてないです。取り敢えず音源通りに歌が上手かった。

  C&Rの時に「全力の人ー!」、「余力残してる人ー!」ってそらるさんが問いかけてきたから余力残してる方に手挙げた(全体的にこっちの方が多かった)んだけど、「なら挙げるなよw」って笑われて軽率に沸いた。あと、男女別れて歌う時もあって、男子に振る前にセンター前方にいるらしい男の子を指差しながら「男子ぃ、いけるな?いけるよな?そこの彼!そう、彼!いけるよな!?」って言ってて、男子リスナーを構いたくなっちゃうそらるさん可愛いなと思った。

 

 

 

・彗星列車のベルが鳴る

 

  全体の中で1番盛り上がったし、1番そらるさんが楽しそうだったと思う。個人的にそらるさんは、ソロの時は独自の空気感で会場を満たして、After the Rainの時はソロとは違う、キラキラした夏の星空のような輝きを放つと思ってるんだけど、この曲の時はそのAtRの時のそらるさんが垣間見えた。照明に照らされるそらるさんは、透けてしまいそうなほどに白くて綺麗で、やっぱりとても儚かった。

  基本弾ける笑顔で歌ってたんだけど、歌詞に合わせてたまに切なげな表情もしてて、どうしようもなく愛しい気持ちになった。

 

 

 

【MC】

 

 

 

・長い坂道

 

  そらるさんがそらるさん自身の記憶を基に作った曲だと思うと、どうしても胸がいっぱいになってしまった。

  ライブが始まってからここまでがあまりにもあっという間で、寂しすぎて本当に辛かった。ゆったりと心地の良いテンポ感に揺られる感覚は心地よくて、でも、終演に近づいていくようで悲しくもあった。胸に手を当てながら、一言一言の意味を取り零さないように本当に丁寧に歌っていて、その真摯な姿がとても素敵で本当に大好き。

  曲中ずっと、この曲が終わらないでほしいと願った。永遠にそらるさんのステージを見ていたいと心の底から思った。

 

 

 

○アンコール

 

【MC】

 

 

 

・夕溜まりのしおり

 

  この曲はアンコールに合いすぎる。今この瞬間の幸せを噛み締めながら、過去を思い出して未来に想いを馳せて聴いた。これは完全に個人的なことなんだけど、私が初めて買ったそらるさんの円盤が「夕溜まりのしおり」だったから、その表題曲を今もこうして大切に歌い続けてくれるのが本当に感慨深い。元々、  そらるさんが活動のこれまでとこの先を繋ぐ"しおり"として書いたのが曲だから、こういう時にこそ最大限の魅力を発揮するんだろうと思う。

  楽しかった記憶も辛かった記憶も、全部ひっくるめて今の人生が好きだ、とそらるさんが思ってくれれば、私は最高に嬉しいし安心して応援していられる。

  次はどんな舞台でこの曲を聴くことができるのか、とても楽しみになった。

 

 

 

・ユーリカ

 

  まさかここにこの曲が組み込まれるとは思っていなかったから少し驚いたけど、聴いているうちにその意味を自分なりに理解できた。明るく前向きで未来への推進力が感じられる曲だから、1番最後にこの曲を聴くことで、この先もそらるさんが活動してくれて、それを自分が応援するということに必然性を感じた。

  曲中にそらるさんが一度バンドメンバーの顔をぐるっと見回して微笑みを交わしていたんだけど、それが目で会話をしているみたいで、すごく絆を感じさせられた。ライブ中にそらるさんの背中を見るバンドメンバーの眼差しは、いつも優しいし楽しそうで、この日はライブを通して、素敵な演奏者さんがいてこそのそらるさんの歌声なんだと再確認できたと思う。

 

 

 

 

  今回のそらるさんは、曲によって声も歌い方も表情も全く違っていて、表現力が抜群に高かったと思う。私がこれまで知らなかったそらるさんをたくさん見ることができて、そらるさんが日々進化し続けていることを実感した。また、そらるさんが友人を大切にする人だということも改めて感じられて、本当に良い時間を過ごすことができたと思う。

  10周年という節目に合わせて積極的にソロ活動をするようになったそらるさんのおかげで、楽しい時間が絶え間なく続いているような感覚です。こんなに楽しんでもいいんですか?と訊きたくなるくらい幸せで、そらるさんに最大限の感謝の気持ちを伝えたい。

  ここまで来るのに多くの勇気ある選択をしてきたであろうそらるさんは、間違いなく勇敢な勇者で、主人公です。そらるさんが紡ぐ物語がこれからもずっと続きますように。

  

そらる10th ANNIVERSARY YEAR第2弾シングル『ユーリカ』を聴いて【感想・考察】

〈URL〉

楽曲⇒【MV】ユーリカ /そらる(ドラマ「ゆうべはお楽しみでしたね」OP曲) - YouTube

XFD⇒そらる 2nd Single / ユーリカ-XFD - YouTube

HP⇒そらる Single CD「ユーリカ」そらる Single CD「ユーリカ」

 

 

  遂に、そらるさんの2nd Single『ユーリカ』が発売しましたね!!(大声)やはり、最高な一枚でした。そらるさんのオリジナル曲といえば、以前にも書きましたが、温かで胸にじんわり流れ込んでくるような、色に例えるとしたらオレンジ色のような、そんなイメージがありませんか?私としては、久し振りにそのオレンジ色の曲が聴けたな、と胸が熱くなるような思いです……。

 

  つい先日リリースされた1st  Single『銀の祈誓』はバリバリのロックなのでオレンジ色ではありませんでしたし、カップリングの『ゆきどけ』も、要所要所に白色のイメージが散りばめられていたので、どちらかと言うとそちらの印象の方が強かったです。どちらの曲も、それまで知り得なかった新しい引き出しの曲で、そらるさんが抱える天文学的可能性の一片が垣間見えたような気がします。そらるさんの発言を見ていると本人にもその意図があったようなので、正に「してやられたり」です。当のそらるさんは、さぞ可愛らしいしたり顔を浮かべたことでしょう。いやあ、常々彼は愛すべき人ですね。

 

 

 

  さて、そろそろ本題に入らなければいけません。実はわたくし、最近歌ってみたにしてもCDにしてもろくな感想を書いていなくて、そろそろ文章の書き方を忘れてしまいそうだと、危機感を覚えております。もう、ツアーは始まり私が参戦する日も近付いています。そのため、そのレポートのための筆馴らしという意味も兼ねて、この記事を書き、合わせて『ユーリカ』を聴き込んでいければと思います。そしてこの記事が、皆さんが『ユーリカ』について新たな魅力を見出すきっかけになれば嬉しいです。

 

 

 

  折角ブログなので事細かに書いていきたいので、まず、公開前の心境から書きます……日が暮れてしまいそうですがどうかお付き合いください……。

 

  まず、私たちリスナーは予備知識として、ユーリカがドラマ『ゆうべはお楽しみでしたね』のOPテーマであること、そして、同人アルバム『夢見るたまごの育て方』に収録されている、そらるさんが作詞作曲を担当した『僕のヒーロー』に繋がる曲になっているということを知らされました(筆者の記憶が正しければ)。ここで自ずとわかってくることが、恐らくユーリカが"ゲームがテーマの曲"であるだろうということと、そのゲームが『ドラゴンクエスト』であるだろうということです。

 

  こんな素敵な情報を与えられてしまったものですから、思わず「良い曲!!」と叫んでしまいました。もちろん嘘ですが。聴く前に「良い曲」であると評価することが作者に失礼だというのは、十分に心得ているつもりです。でもそれくらいの勢いで、私はとても嬉しかったのです。

 

  残念ながら私は、2017年のワンマンツアー『夢見るセカイの歩き方』横浜アリーナ公演には参戦していないので(公演中は試験勉強をしながらそらるさんの瞬きの回数を予想していました)、僕のヒーローを大舞台で歌うそらるさんの生の様子は知りません。それでも、ライブ映像(そらる/僕のヒーロー「夢見るセカイの歩き方ツアー」横浜アリーナ公演【LIVE映像】 - YouTube)の方では何度も鑑賞しておりますので、思い出して目頭が熱くなるくらいにはあの光景に思い入れがあります。あの広い会場を包み込む歌声がどれほどに優しく感動的であったことか。そして、夢セカ名古屋公演で目の当たりにした、それを歌うそらるさんの何処かに少年のような光を宿した儚くも美しい笑顔の記憶は、いつでも私の心にあの瞬間の感動を呼び起こさせます。

 

  そんな『僕のヒーロー』の続きを見られる日が来るなんて、なんと幸せなことでしょうか……。

 

  というような具合で、シングルのリリースが発表された時点で、既に私の心は歓喜の渦に包まれていたわけです。まぁよくよく思い返してみれば、私生活が忙しくてそこまで想いを馳せる余裕もなかったような気がしなくもありませんが、きっと、心の何処かではこれくらいに喜んでいたはず。それから『ゆうべはお楽しみでしたね』の放送やミュージックビデオの公開など、色々なところで曲を聴く機会はありましたが、私がやっとゆっくり聴くことができたのは、CDがリリースされて一週間後のことでした。

 

 

 

  初めてじっくり曲を聴いてまず感じたのは、ユーリカがそらるさんの権化のような曲で、聴いていてとても幸せになることができる曲である、ということです。ゲームのようなチップチューン調のイントロから始まり、曲が広がりを見せた瞬間には、目の前に輝く旅路が見えるような気分でした。心地の良いテンポに乗せて、華やかでメロディックなストリングスが流れ遊び心のある装飾音が飛び交い、  全ての楽器がそらるさんの世界観を忠実に再現していく。胸が満たされる心地です。

 

  さて、このブログを書くにあたってたった今初めて僕のヒーローとユーリカの歌詞を並べてみているのですが、なんということでしょう……ここにこんな宇宙が広がっていたなんて……。

 

  冒頭の「空想から飛び出したまるで君は太陽で」という歌詞は、僕のヒーローの「滲む視界に輝いて見えた 僕の勇者だ」という歌詞の言い換えなのでしょうか。"僕"を救った"君"は、僕にとって勇者のように強く確かなものであり、太陽のように温かく自分を包み込んでくれる存在なのかもしれません。はじめの「空想から〜空へと駆け出した」は、恐らく僕のヒーローのあらすじを表現したものなのだと思います。

 

  解釈を進めるにあたって、この2曲の時系列が難しいところなのですが、私は、僕のヒーローは君と出会って間もない頃の歌で、ユーリカがそれからしばらく時間が経った頃の歌なのだと思っています。なので、その前提のもとお話を続けますね。

 

  僕のヒーローの頭の部分に「僕を見つけてよ」という歌詞があり、それに呼応するようにユーリカには「君を見つけたよ」という歌詞があります。呼応、と言っても、恐らく2つの曲の僕は同一人物です。つまり、ここで僕は君との出会いについて、以前は「見つけてもらう」という受容的で奇跡的なものとして認識していたのに対し、今は「見つける」という能動的で必然的なものとして認識している、ということが読み取れるのです。また、僕のヒーローでは、僕は自らの行動を「待つ」や「逃げる」といった保守的な言葉で表していましたが、ユーリカでは、「迷う」や「越える」といったどちらかというと進歩的な言葉を使って表現しています。この辺りの違いから、僕は君と出会い共に旅をする過程で、自信と自己肯定感を身に付け、前向きになっていったのではないかと思います。

 

  僕と君の未来に対する僕の考えについても、僕のヒーローとユーリカとではまるで違います。僕のヒーローには「夢見る世界」という表現が何度も出てくる上に、後半「旅の終わりに魔法が解ける日が来ても」という歌詞も出てきます。夢も魔法も、いつかは終わるもの。要するに、僕は君との出会いを「一時のもの」、「いつかは終わるもの」と考えているわけです。僕のヒーローの頃の僕がいかに悲観的であるかがわかりますね。対してユーリカでは、皆さんもお察しの通り、「その憧憬は覚めなかった」、「きっと続いていく 星空の向こうのフィナーレまで」と歌い、更には「ありふれた幸福な日々はきっと続くのだろう 二人のエンドロールまで」とまで歌っているのです。泣きましたか?私はもう今にも涙が溢れ出しそうです。幸福な日々を受け入れるには、それが終わる恐怖も受け入れる必要があるはず。自分を信じ、人を信じなければ、幸福な日々は続くのだと確信することはできないでしょう。僕は君との旅を経て、強くて確かな「信じる勇気」を手に入れたわけです。そらるさんの根っからのハッピーエンド思考が、これでもかというほど色濃く表出している歌詞だと思いますね……。こんな歌詞を書くということは、そらるさん自身も今の人生に対してある程度の確信や安心感を抱いているということなのでしょうか?

 

  そして、先ほどの「信じる勇気」の話に繋がるのですが、僕のヒーローには「何も信じられず解いた手も」という歌詞が出てきます。それに対するユーリカの歌詞が、「繋いだ影が途切れないように」という部分なのだと、私は考えています。「繋いだ影」というのはつまり「手を繋いだ」ということだと思うのですが、ここの表現がまずとても素晴らしくないですか?影を以って光を連想させるという点においても、本当に素敵な歌詞だと思います。内容についてですが、上述した歌詞にある通り以前僕は、信じることで生まれる裏切られる恐怖を背負いきれず、君の手を振り解いてしまったことがあります。しかし今は、君のことはもちろん自分自身も信頼しその手を離さず、次の歌詞に「世界を包み込む暗闇なんて笑い飛ばして」とある通り、どんな恐怖にも2人で立ち向かっていこう、という気概を身に付けたのです。

 

 

 

  さて、いよいよこの曲の山場である、悲しむ君を僕が助けるシーンについて考えていこうと思います。

透き通る君の眼差しが悲しみで溢れるなら

僕は隣にいてもいいかな

いつかの君のように

具体的には上の歌詞の部分ですね。ここの表現がまたとても綺麗です。

 

  まず、「目は心の鏡」という言葉があるように、人の体において"目"というのは、その人の人格や性質を象徴するものとしてよく用いられます。それが「透き通る」とそらるさんは歌ったわけです。透き通るという言葉を聞くと、澄んだ清らかなイメージが浮かびますね。そしてそれが人の性格を表すのに用いられた場合には、その人が正しく素直な性格である、という印象になると思います。つまり「透き通る君の眼差し」という一節に、君は心が清く美しい正直者である、という意味が詰まっているのです。この部分はユーリカの中でも特に技巧的な表現なのではないでしょうか。

 

  そして、そんな君を僕が助ける、ということをここまで感動的なものにたらしめているのが、「いつかの君のように」という歌詞なのですね。自分を助けた勇者であり自分を照らす太陽である君を、今度は自分自身が助けようと言う僕の成長に、もう涙が止まらないです。更に感動的なのが、僕のヒーローで僕が解いた手を君が握った後の歌詞に、「そんな君が僕のこと作ってくれたよ」という部分があるということです。(余談ですが、この「君が僕を作った」という表現は『夕溜まりのしおり』収録曲である『残り火』の歌詞にも出てきますね。)君の救いがあったからこそ今の僕があり、更に、今の僕があるからこそ君は救われることができるのです。「僕は隣にいてもいいかな」という歌詞は、どことなく躊躇いがちな感じがしてしまいますが、もしもここでの僕が「ただの僕」で、「君が作ってくれた僕」でなかったとしたら、この言葉自体が出てこなかったのだと思います。君が作ってくれた、君がいたおかげで成長できた僕なら、悲しむ君を慰めることができるかもしれない、という僕の思いがそこにあるのではないでしょうか。また、僕にとって勇者である君を助けることで、僕自身もまた君にとっての"勇者"になるのです。非常に胸が熱いですね。

 

 

 

最後に、

夢を忘れた僕の空に

君が理由をくれたんだ

という歌詞ですが、もう、言葉が出ないほどに素敵な歌詞ですよね(もしかして:ボキャブラリーが底をつきそう?)(なけなしのボキャブラリーであと少し頑張りますが……)。ここの「夢を忘れた僕の空」というのは、僕のヒーローの「いつか見た星空は忘れないから」という歌詞と繋がっているのではないかと思います。僕のヒーローの時点では、僕は、「星降る夜」含む君と旅で見た景色を「夢見る世界」のもの、ユーリカでいうところの「憧憬」だと思っていたわけです。ところが先程にも書いた通り、ユーリカのサビでは「夢物語と目を逸らして その憧憬は覚めなかった」と歌われていて、それらの景色が"夢"ではなく"現実"であったと伝えています。そんな、夢から覚めても君と一緒に見ることができる空のことを、そらるさんは「夢を忘れた僕の空」と表現しているのだと思います。その次に出てくる"理由"が何の理由なのかというのも、色々捉え方がありますが、私は「夢を忘れても尚僕の空が存在している理由」だと思っています。ここで言う「僕の空」とは、君と一緒に見る美しい空のこと。そしてその理由の内容は、「勇気を出して君と自分を信じたおかげで、君と一緒に見る美しい空はエンドロールまで途切れることがない。そしてその勇気を出すことができたのも、君のおかげだ。」というものなのだと思います。

 

 

 

  さて、大変長い記事になってしまいましたが、これで一通り終わりました。カップリング2曲の魅力についても語り散らしたい気持ちでいっぱいなのですが、私のボキャブラリーと処理能力がそれを許しません。悪しからず。やはりこういう記事を書くと、改めてそらるさんの素晴らしさに気付かされますね。

 

  豪華なアニバーサリーイヤーも、終わりが近づいてきました。シングルの発売にワンマンツアー、テレビでインタビューを受けたりラジオに出演をしたりと、怒涛の数ヶ月でした。残りの数ヶ月も、適度に休みつつ駆け抜けていってほしいものです。

 

  最後までお読みいただきありがとうございました。また、興味がありましたら是非覗いてみてください。

 

推しとの出会いに乾杯

  久しぶりに何か書こうと思い立ったはいいもののなかなか筆が進まず困っていたところ、Twitterのフォロワーさんから、そらるさんを好きになったきっかけを書いたらどうか、という提案を受けた。盲点だった。そういえば、まだ触れたことのない話題である。果たして需要があるのかは疑問だが、軽い気持ちで書いてみようと思う。

 

 

 

  まず、いつからそらるさんを応援しているのか、というところだが、私は、2015年の「ひきこもらないラジオ」が盛んに投稿されていた辺りから、そらるさんを応援している。1年でもそらいろまふらーをリアルタイムで見られたことは、運が良かったと今になって思う。

 

 

  厳密にはよく覚えていないが、そらるさんとの出会いは、YouTubeに無断転載されていた彼の歌ってみた動画であったと記憶している。当時私は、カゲロウプロジェクトにはまっており、手当たり次第曲とその歌ってみたを聴いていたので、その流れでそらるさんと出会った。尚、ニコニコ動画のアカウントはまだ作っていない頃である。

 

 

  歌ってみた動画は好きでよく聴いていたものの、その頃はYouTubeにチャンネルを持つ有名歌い手などいなかったので、歌ってみた文化の実態や発達具合などについて私は全く知らなかった。「インターネットカラオケマン」とはよく言ったもので、当時の私は歌い手がライブをしていることもCDを出していることも、ニコニコ生放送で人気を博していることも知らず、彼らのことをただ歌ってネットで公開している人たち、という具合に認識していた。

 

 

  そんな右も左も分からない中で、色々な無断転載の動画を漁っていくうちに出会ったのが、そらるさんが歌う「アウターサイエンス」だ。とはいえ、彼の歌を初めて聴いた感想は、失礼なことこの上ないのだが、「歌い手にしては上手いな」くらいのものだったような記憶がある。全く、ビビッとくることも雷のような衝撃が走ることもなかった。確かに、個性的な声質は大変好みであり、歌の表現もとても魅力的に感じた。しかし、「歌い手」という肩書きの先入観があまりにも強かったのだろう。また、まだ私の中に「歌っている人で歌を区別する」という概念が確立されていなかったため、彼の歌も、歌ってみた動画の内の1つとしてしか、認識することができなかった。

 

 

  それからまた様々な歌を聴く中で、私はやっと「そらる」という人物に興味を持つようになった。この辺りから、「歌っている人で歌を区別する」概念が私の中に芽生え始めたのだろう。その名前をインターネットで検索することも増えていった。

 

  そして出会ったのが、「ニコニコ大百科」である。そらるさんのページを読んでまず衝撃を受けたのは、彼が「イケボ」だと持て囃されているらしいこと、そして、彼が現在も高頻度で動画を投稿しているということだった。歌い手がファンを抱えているという意識自体がその頃の私には殆どなく、あまつさえ「イケボ」だと言われていることなど、思ってもみなかった。やはり「人気があるものはイイもの」という思考が無意識にもあったのか、彼のファンの存在を知ると、それ以前よりも自分が彼を応援するということが現実的に思えた。そしてこの時やっと、私は彼のことを「好き」や「応援」の対象として見ることができた。また、ここでそらるさんがニコニコ動画を中心に活動していることを知ったので、私がニコニコ動画のアカウントを作ったのもこのタイミングである。自分が違法である無断転載の動画を見ていたことを、この時まで全く知らなかったのだから、無知とは時にして甚だ恐ろしいものである。

 

 

 

  そして、やっとニコニコ動画でアカウントを作り、元動画を見るようになった時、私はそらるさんに関する大きな出会いを果たす。それが、「ひきこもらないラジオ」との出会いであった。

 

 そらるさんの喋りを聴くことが殆どなかった私にとって、これがほぼ初めての、彼の喋りを聴く機会であった。感想としては、非常に興奮した。ひたすらに格好良かったのだ。それまで私の中で、人物としてはっきりしなかった彼が、急激に輪郭を成したのである。間違いなく良い声なのだが何処か気だるげで、程よいユーモアと愛らしさ、そこに垣間見える聡明さ、全てが完璧。ここで私は、彼に夢中になった。

 

  それまでも、自分に対してはそれなりにオタクの素養を感じていたのだが、そらるさんによってそれが完全に開花したと言って良いだろう。それからというもの、私は貪るようにそらるさんの動画を視聴し、そらるさんの名前を検索し、そらるさんのことを知るごとに、私はそらるさんのことを好きになっていった。

 

 

 

  ここで一つ、私が精神的に幼かったからこそ起きた、とっておきのエピソードをお話しさせてほしい。

 

 この辺りから私は、アカウントを持たないながらに、そらるさんのツイッターを見るようになっていた。2015年といえば、まだそらるさんがツイッターにほぼ常駐していた頃である。彼の飾らない生活ぶりや、ツイ廃のにおいが若干漂うツイートは、この頃から今まで変わらない。

 

 ある日、私はとあるツイートに大変ショックを受けた。それが次のツイートである。

そして今回のあこそら3でそらるとしての活動はおしまいにしようと思っています。セカンドアルバムも発売するし一つのいい機会だと思っていました。皆さん今まで本当にありがとうございました! 

そらる☃️ on Twitter: "そして今回のあこそら3でそらるとしての活動はおしまいにしようと思っています。セカンドアルバムも発売するし一つのいい機会だと思っていました。皆さん今まで本当にありがとうございました!"

瞬間に心の中で、「折角好きになったのに、やめてしまうのか……」と呟いたこと、今でも鮮明に覚えている。本気で、彼はもう活動をやめるのだと、私は信じ込んだのだ。その日の日付と、それが意味することなど、少しも考えていなかった。

 

 しかしその後のツイートで、彼の様子が明らかにおかしかった。

これからは名前を変え、伊藤ゴンザレスという名前で心機一転頑張っていきたいです!プロレスや山籠りなど、新しいことに挑戦し、刺激をみんなに届けていきたい!

そらる☃️ on Twitter: "これからは名前を変え、伊藤ゴンザレスという名前で心機一転頑張っていきたいです!プロレスや山籠りなど、新しいことに挑戦し、刺激をみんなに届けていきたい!"

何度読み直して考え直してみても様子がおかしいと、若かりし私でも信じ難く、その上そらるさんの独特な冗談のノリを知らない私は混乱するばかりで、その真意はわからないままであった。

 数分後、彼がやっとネタばらしのような内容のツイートをし始める。ここで私はカレンダーを見て、納得した。その日は4月1日。そう、エイプリルフールであった。その時、彼が活動をやめないことに安心すると同時に、彼に対する好感度がぐんと上がった。こんな冗談も言う人なのかと、素直に面白く感じたのだ。年若い私に起きた、可愛らしい事件である。

 

 

 

   最後に、丁度この頃にリリースされたそらるさんの2ndメジャーアルバム、「夕溜まりのしおり」についてお話ししようと思う。私はインターネットで予約したのだが、発売日前日の夜、アルバムが手元に届くことがあまりにも楽しみで、全然寝られなかったことを覚えている。小学校の遠足の前日すら眠れたのに、その夜ばかりは眠れなかったのだ。

 

  アルバムを初めて聴いた時、とてつもない衝撃だった。1枚のCDを通して、1つの世界が出来上がっていた。彼の優しさも暖かさも、信念の強さも、心になだれ込むように一気に伝わってきて。私が音楽であそこまで心を動かされたのは、あれが初めてだったと思う。私はこのアルバムを聴いて、そらるさんのことをはっきりと好きになった。彼の音楽と人柄に魅力や心地よさを感じ、これからも好きでいたいと思った。

 

 

 

 それから四年が経とうとしているということには、心底驚きである。

 

 詳しく書くと長くなるので割愛するが、あれからそらるさんと彼の周りの環境は、多くの変化を遂げた。その変化に、多くあるリスナーの内の1人として、傷つくことも憤ることも勿論あった。しかし私は、そらるさんに出会うことができて、好きになって、本当に良かったと心から思う。私は彼と出会うことで、人間として成長することができた。彼の信念や生き様から、数え切れないほどのことを学び、また、私は彼の存在に幾度となく助けられてきた。以前、私生活が辛く耐え難く、消えてしまいたいとすら思ったことがある。でも、彼のことを考えたら、もう少し生きていようと思えた。本気で、あの頃の私をこの世に繋ぎ止めていたのは、死への恐怖とそらるさんの存在だけだったと思う。

 

  今も、そらるさんは変化し続けている。これからも、その変化に対して私は様々な感情を抱くだろう。それでも、格好良くて可愛いくて、聡明で真面目で努力を怠らない彼を、これからも応援し続けたい。

 

  彼の幸せは私の幸せだ。